『正信偈』(しょうしんげ)
「正信念仏偈」の略称。親鸞の主著『教行信証』の第二章(行巻)の末にある七言百二十句の偈(詩頌)。
まず阿弥陀仏に帰依し、本願・名号のなりたちと、他力の信心こそが往生の正因となるいわれをうたい、次にこの浄 土教を伝えた高僧の恩とその偉業を讃える形でつづる。内容が、浄土真宗の本義を端的に述べるものなので、のち に本願寺八世蓮如(一四一五〜九九)は、これに和讃(六首)と念仏を加えて日常仏前で詠唱することに定め、それ 以来、仏事や日常の勤行にもっとも多用され、信徒たちに親しく唱和されている。
(『真宗小事典』 瓜生津隆真、細川行信 編 法蔵館 より)
[書き下し文]
帰命無量寿如来 無量寿如来(むりょうじゅにょらい)に帰命(きみょう)し、
南無不可思議光 不可思議光(ふかしぎこう)に南無(なむ)したてまつる。
法蔵菩薩因位時 法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の因位(いんに)の時(とき)、
在世自在王仏所 世自在王仏(せじざいおうぶつ)の所(みもと)にましまして、
覩見諸仏浄土因 諸仏(しょぶつ)の浄土(じょうど)の因(いん)、
国土人天之善悪 国土人天(こくどにんでん)の善悪(ぜんまく)を覩見(とけん)して、
建立無上殊勝願 無上殊勝(むじょうしゅしょう)の願(がん)を建立(こんりゅう)し、
超発希有大弘誓 希有(けう)の大弘誓(だいぐぜい)を超発(ちょうほつ)せり。
五劫思惟之摂受 五劫(ごこう)、これを思惟(しゆい)して摂受(しょうじゅ)す。
重誓名声聞十方 重(かさ)ねて誓(ちか)うらくは、名声十方(みょうしょうじっぽう)に聞(き)こえんと。
普放無量無辺光 あまねく、無量(むりょう)・無辺光(むへんこう)、
無碍無対光炎王 無碍(むげ)・無対(むたい)・光炎王(こうえんのう)、
清浄歓喜智慧光 清浄(しょうじょう)・歓喜(かんぎ)・智慧光(ちえこう)、
不断難思無称光 不断(ふだん)・難思(なんし)・無称光(むしょうこう)、
超日月光照塵刹 超日月光(ちょうにちがっこう)を放(はな)って、塵刹(じんせつ)を照(て)らす。
一切群生蒙光照 一切(いっさい)の群生(ぐんじょう)、光照(こうしょう)を蒙(かぶ)る。
本願名号正定業 本願(ほんがん)の名号(みょうごう)は正定(しょうじょう)の業(ごう)なり。
至心信楽願為因 至心信楽(ししんしんぎょう)の願(がん)を因(いん)とす。
成等覚証大涅槃 等覚(とうがく)を成(な)り、大涅槃(だいねはん)を証(しょう)することは、
必至滅度願成就 必至滅度(ひっしめつど)の願成就(がんじょうじゅ)なり。
如来所以興出世 如来(にょらい)、世(よ)に興出(こうしゅつ)したまうゆえは、
唯説弥陀本願海 ただ弥陀本願海(みだほんがんかい)を説(と)かんとなり。
五濁悪時群生海 五濁悪時(ごじょくあくじ)の群生海(ぐんじょうかい)、
応信如来如実言 如来如実(にょらいにょじつ)の言(みこと)を信(しん)ずべし。
能発一念喜愛心 よく一念喜愛(いちねんきあい)の心(しん)を発(ほつ)すれば、
不断煩悩得涅槃 煩悩(ぼんのう)を断(だん)ぜずして涅槃(ねはん)を得(う)るなり。
凡聖逆謗斉回入 凡聖(ぼんしょう)、逆謗(ぎゃくほう)、ひとしく回入(えにゅう)すれば、
如衆水入海一味 衆水(しゅうすい)、海(うみ)に入(い)りて一味(いちみ)になるがごとし。
摂取心光常照護 摂取(せっしゅ)の心光(しんこう)、常(つね)に照護(しょうご)したまう。
已能雖破無明闇 すでによく無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)すといえども、
貪愛瞋憎之雲霧 貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、
常覆真実信心天 常(つね)に真実信心(しんじつしんじん)の天(てん)に覆(おお)えり。
譬如日光覆雲霧 たとえば、日光(にっこう)の雲霧(うんむ)に覆(おお)わるれども、
雲霧之下明無闇 雲霧(うんむ)の下(した)、明(あき)らかにして闇(くら)きことなきがごとし。
獲信見敬大慶喜 信(しん)を獲(え)れば見(み)て敬(うやま)い大(おお)きに慶喜(きょうき)せん、
即横超截五悪趣 すなわち、横(よこ)に五悪趣(ごあくしゅ)を超截(ちょうぜつ)す。
一切善悪凡夫人 一切善悪(いっさいぜんあく)の凡夫人(ぼんぶにん)、
聞信如来弘誓願 如来(にょらい)の弘誓願(ぐぜいがん)を聞信(もんしん)すれば、
仏言広大勝解者 仏(ぶつ)、広大勝解(こうだいしょうげ)の者(ひと)と言(のたま)えり。
是人名分陀利華 この人(ひと)を分陀利華(ふんだりけ)と名(な)づく。
弥陀仏本願念仏 弥陀仏(みだぶつ)の本願念仏(ほんがんねんぶつ)は、
邪見?慢悪衆生 邪見?慢(じゃけんきょうまん)の悪衆生(あくしゅじょう)、
信楽受持甚以難 信楽受持(しんぎょうじゅうじ)すること、はなはだもって難(かた)し。
難中之難無過斯 難(なん)の中(ちゅう)の難(なん)、これに過(す)ぎたるはなし。
印度西天之論家 印度(いんど)・西天(さいてん)の論家(ろんげ)、
中夏日域之高僧 中夏(ちゅうか)・日域(じちいき)の高僧(こうそう)、
顕大聖興世正意 大聖興世(だいしょうこうせ)の正意(しょうい)を顕(あらわ)し、
明如来本誓応機 如来(にょらい)の本誓(ほんぜい)、機(き)に応(おう)ぜることを明(あ)かす。
釈迦如来楞伽山 釈迦如来(しゃかにょらい)、楞伽山(りょうがせん)にして、
為衆告命南天竺 衆(しゅう)のために告命(ごうみょう)したまわく、
龍樹大士出於世 南天竺(なんてんじく)に、龍樹大士世(りゅうじゅだいじよ)に出(い)でて、
悉能摧破有無見 ことごとく、よく、有無(うむ)の見(けん)を摧破(ざいは)せん。
宣説大乗無上法 大乗無上(だいじょうむじょう)の法(ほう)を宣説(せんぜつ)し、
証歓喜地生安楽 歓喜地(かんぎじ)を証(しょう)して、安楽(あんらく)に生(しょう)ぜん、と。
顕示難行陸路苦 難行(なんぎょう)の陸路(ろくろ)、苦(くる)しきことを顕示(けんじ)して、
信楽易行水道楽 易行(いぎょう)の水道(しいどう)、楽(たの)しきことを信楽(しんぎょう)せしむ。
憶念弥陀仏本願 弥陀仏(みだぶつ)の本願(ほんがん)を憶念(おくねん)すれば、
自然即時入必定 自然(じねん)に即(そく)の時(とき)、必定(ひつじょう)に入(い)る。
唯能常称如来号 ただよく、常(つね)に如来(にょらい)の号(ごう)を称(しょう)して、
応報大悲弘誓恩 大悲弘誓(だいひぐぜい)の恩(おん)を報(ほう)ずべし、といえり。
天親菩薩造論説 天親菩薩(てんじんぼさつ)、論(ろん)を造(つく)りて説(と)かく、
帰命無碍光如来 無碍光如来(むげこうにょらい)に帰命(きみょう)したてまつる。
依修多羅顕真実 修多羅(しゅたら)に依(よ)って真実(しんじつ)を顕(あらわ)して、
光闡横超大誓願 横超(おうちょう)の大誓願(だいせいがん)を光闡(こうせん)す。
広由本願力回向 広(ひろ)く本願力(ほんがんりき)の回向(えこう)に由(よ)って、
為度群生彰一心 群生(ぐんじょう)を度(ど)せんがために、一心(いっしん)を彰(あらわ)す。
帰入功徳大宝海 功徳大宝海(くどくだいほうかい)に帰入(きにゅう)すれば、
必獲入大会衆数 必(かなら)ず大会衆(だいえしゅ)の数(かず)に入(い)ることを獲(う)。
得至蓮華蔵世界 蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)に至(いた)ることを得(う)れば、
即証真如法性身 すなわち真如法性(しんにょほっしょう)の身(しん)を証(しょう)せしむと。
遊煩悩林現神通 煩悩(ぼんのう)の林(はやし)に遊(あそ)びて神通(じんづう)を現(げん)じ、
入生死園示応化 生死(しょうじ)の園(その)に入(い)りて応化(おうげ)を示(しめ)す、といえり。
本師曇鸞梁天子 本師(ほんじ)、曇鸞(どんらん)は、梁(りょう)の天子(てんし)
常向鸞処菩薩礼 常(つね)に鸞(らん)のところに向(む)こうて菩薩(ぼさつ)と礼(らい)したてまつる。
三蔵流支授浄教 三蔵流支(さんぞうるし)、浄教(じょうきょう)を授(さず)けしかば、
焚焼仙経帰楽邦 仙経(せんぎょう)を焚焼(ぼんしょう)して楽邦(らくほう)に帰(き)したまいき。
天親菩薩論註解 天親菩薩(てんじんぼさつ)の『論(ろん)』、註解(ちゅうげ)して、
報土因果顕誓願 報土(ほうど)の因果(いんが)、誓願(せいがん)に顕(あらわ)す。
往還回向由他力 往(おう)・還(げん)の回向(えこう)は他力(たりき)に由(よ)る。
正定之因唯信心 正定(しょうじょう)の因(いん)はただ信心(しんじん)なり。
惑染凡夫信心発 惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心発(しんじんほつ)すれば、
証知生死即涅槃 生死即涅槃(しょうじそくねはん)なりと証知(しょうち)せしむ。
必至無量光明土 必(かなら)ず、無量光明土(むりょうこうみょうど)に至(いた)れば、
諸有衆生皆普化 諸有(しょう)の衆生(しゅじょう)、みなあまねく化(け)すといえり。
道綽決聖道難証 道綽(どうしゃく)、聖道(しょうどう)の証(しょう)しがたきことを決(けつ)して、
唯明浄土可通入 ただ浄土(じょうど)の通入(つうにゅう)すべきことを明(あ)かす。
万善自力貶勤修 万善(まんぜん)の自力(じりき)、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す。
円満徳号勧専称 円満(えんまん)の徳号(とくごう)、専称(せんしょう)を勧(すす)む。
三不三信誨慇懃 三不三信(さんぷさんしん)の誨(おしえ)、慇懃(おんごん)にして、
像末法滅同悲引 像末法滅(ぞうまつほうめつ)、同(おな)じく悲引(ひいん)す。
一生造悪値弘誓 一生(いっしょう)悪(あく)を造(つく)れども、弘誓(ぐぜい)に値(もうあ)いぬれば、
至安養界証妙果 安養界(あんにょうかい)に至(いた)りて妙果(みょうか)を証(しょう)せしむと、いえり。
善導独明仏正意 善導独(ぜんどうひと)り、仏(ぶつ)の正意(しょうい)を明(あ)かせり。
矜哀定散与逆悪 定散(じょうさん)と逆悪(ぎゃくあく)とを矜哀(こうあい)して、
光明名号顕因縁 光明名号(こうみょうみょうごう)、因縁(いんねん)を顕(あらわ)す。
開入本願大智海 本願(ほんがん)の大智海(だいちかい)に開入(かいにゅう)すれば、
行者正受金剛心 行者(ぎょうじゃ)、正(まさ)しく金剛心(こんごうしん)を受(う)けしめ、
慶喜一念相応後 慶喜(きょうき)の一念相応(いちねんそうおう)して後(のち)、
与韋提等獲三忍 韋提(いだい)と等(ひと)しく三忍(さんにん)を獲(え)、
即証法性之常楽 すなわち法性(ほっしょう)の常楽(じょうらく)を証(しょう)せしむ、といえり。
源信広開一代教 源信(げんしん)、広(ひろ)く一代(いちだい)の教(きょう)を開(ひら)きて、
偏帰安養勧一切 ひとえに安養(あんにょう)に帰(き)して、一切(いっさい)を勧(すす)む。
専雑執心判浅深 専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を判(はん)じて、
報化二土正弁立 報化二土(ほうけにど)、正(まさ)しく弁立(べんりゅう)せり。
極重悪人唯称仏 極重(ごくじゅう)の悪人(あくにん)はただ仏(ぶつ)を称(しょう)すべし。
我亦在彼摂取中 我(われ)また、かの摂取(せっしゅ)の中(なか)にあれども、
煩悩障眼雖不見 煩悩(ぼんのう)、眼(まなこ)を障(さ)えて見(み)たてまつらずといえども、
大悲無倦常照我 大悲倦(だいひものう)きことなく、常(つね)に我(われ)を照(てら)したまう、といえり。
本師源空明仏教 本師(ほんじ)・源空(げんくう)は、仏教(ぶっきょう)に明(あき)らかにして、
憐愍善悪凡夫人 善悪(ぜんあく)の凡夫人(ぼんぶにん)を憐愍(れんみん)せしむ。
真宗教証興片州 真宗(しんしゅう)の教証(きょうしょう)、片州(へんしゅう)に興(おこ)す。
選択本願弘悪世 選択本願(せんじゃくほんがん)、悪世(あくせ)に弘(ひろ)む。
還来生死輪転家 生死輪転(しょうじりんでん)の家(いえ)に還来(かえ)ることは、
決以疑情為所止 決(けっ)するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とす。
速入寂静無為楽 速(すみ)やかに寂静無為(じゃくじょうむい)の楽(みやこ)に入(い)ることは、
必以信心為能入 必(かなら)ず信心(しんじん)をもって能入(のうにゅう)とす、といえり。
弘経大士宗師等 弘経(ぐきょう)の大士(だいじ)・宗師等(しゅうしとう)、
拯済無辺極濁悪 無辺(むへん)の極濁悪(ごくじょくあく)を拯済(じょうさい)したまう。
道俗時衆共同心 道俗時衆(どうぞくじしゅう)、共(とも)に同心(どうしん)に、
唯可信斯高僧説 ただこの高僧(こうそう)の説(せつ)を信(しん)ずべし、と。